レンタル元受刑者・フナイム(funaim)のwiki経歴プロフィールは?事件・賠償や現在の活動内容も!

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レンタル元受刑者として活動しているフナイム(funaim)さんは、ご自身の経験を活かして犯罪撲滅活動家となりました。

今回はフナイム(funaim)さんの下記について紹介します。

  • フナイム(funaim)のwiki学歴経歴プロフィール(本名、年齢)
  • フナイム(funaim)の昔は芸人?
  • フナイム(funaim)の事件や賠償は?
  • フナイム(funaim)の現在の活動内容
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フナイム(funaim)のwiki学歴経歴プロフィール(本名、年齢)

出典:Twitter

名前フナイム(funaim)
生年月日2023年6月時点42歳 現在42歳
出身地福岡県久留米市
最終学歴中学校 卒業 ※高卒認定資格 取得

フナイム(funaim)さんの本名について調べてみましたが、離婚したとはいえ元嫁と子供に迷惑が掛かることを危惧し、本名は伏せているようです。

フナイム(funaim)の名前の由来は受刑者の収容施設「島根あさひ社会復帰促進センター」での受刑者番号が「2716」だったからだそうです。

フナイム(funaim)の生い立ち

小学校&中学時代

フナイム(funaim)さんは小学生の時に演劇部に入ったことで芝居に興味を持ち、中学に入ってからも演劇を続けようとしましたが、厳格な父親から“男はスポーツだ”と反対されて断念しました。

因みにこのエピソードに関連する記事で一部内容に食い違いがあったのですが、何かの手違い(?)かと思われます。

「すごく厳しい父でした。小学校のときに演劇をしたいと思ったのですが、“男はスポーツだ”と言われ、演劇部に入ることができませんでした。門限は18時。守れないと正座をさせられました。殴られることもありました。

母が父から殴られていたのも見ましたが、僕は何もできませんでした。父に従うしかない。常にイライラしていました。“勉強しろ”と言われますが、成績はよくなかったです。高校に入っても自由はなく、アルバイトをさせてくれませんでした。それにテレビを部屋に置かせてくれません」

出典:文春オンライン

小学生のころに演劇部に入り、人前で表現することの楽しさを知りました。もともと好奇心旺盛で、やりたいことがたくさんあったんですよ。『警察官』にも『犯罪者』にもなれる役者など、表現の仕事に惹かれるようになりました」

中学に入ってからも演劇を続けたかったが、厳格な父親に逆らえずに断念した。高校3年生のころ、両親との関係がうまくいかなくなり、家を飛び出した。そのまま中退し、祖母の家で暮らしながら、都内で水商売の仕事をはじめた。

出典:弁護士ドットコム

高校時代

父親と仲が悪かったフナイム(funaim)さんは、高校3年生・17歳の時に高校を中退しました。

そして父親と喧嘩したことで東京近郊の祖父母の家に預けられました。

「17歳のとき、高校3年で中退したんです。父親と喧嘩して、祖父母の家に預けられました。そこでもちょいちょい飛び出していたんですけどね。その後、北関東の自動販売機の製造会社で働き、寮で生活をしたり、友達の家を転々としたり。居酒屋で働いていたこともありました。その後、19歳になってまた祖父母の家に戻りました

出典:文春オンライン

「現代史や経済が面白そうと思って、父に相談しました。父には“大学には行かせない”と言われました。“勉強しろ”と言っていたのに“大学は行かせない”。いったい、僕はこれまで何をしていたんだろうと思いました。そこから勉強なんて意味がない、と思うようになり、自分のやりたいことをしようと考えて、遊び呆けました。このころから悪い仲間とつるむようになったんです」

そんな中で、祖父母に預けられるきっかけになったエピソードがある。

「夜遅くまで遊んでいたとき、“朝まで来なよ”と言って、女の子を家に連れ込んだことがあったんです。そのとき、夜中になって、父が部屋に乗り込んで来ました。“とっとと帰れ、このやろう”と怒鳴ったのです。女の子を帰さないといけないので恥をかきました。母が女の子を送っていってくれたんですが、もう父には恨みしかないです。もう無理だと思い、爆発しました。結果、祖父母が僕を引き取ることになったんです」

祖父母に引き取られるまで、フナイムさんは、父の言動に耐えてきた。

ずっと父の顔色を窺っていたと思います。そうすると、イライラしましたが、遊ぶことでストレスを解消しました。中学まではずっと我慢。とにかく我慢でした。“言い訳をするな”と言われていたためか、引っ込み思案にもなりました。そんな時代のことを忘れるしかなかった。だから今思い出そうとしても、思い出せない。ただ、感情の起伏は激しかったですね。学校内では喧嘩をけしかけていました」

出典:文春オンライン

そのような家庭環境だったためか、フナイム(funaim)さんは高校1年生の頃から犯罪に手を染めていました。

そんな中で万引きや自動車盗、酒、タバコ、競馬を覚えていく。

「高校1年のとき、場外馬券場に3~4人で行ったのですが、警察に声をかけられました。親に電話をしようとしましたが、父にバレたら大騒ぎになります。そのため、“親は今の時間家にいないので、○○時になったら電話をしてくれませんか?”と言いました。

時間になると警察から電話があり、まずは自分が出ました。そして保留にして、“父”に代わったふりをしました。声マネをして、警察の対応をしました。この頃、演劇を目指していたのもありますが、考えてみれば、そこから詐欺みたいなことをしていましたね。子どもの頃から逃げ癖がありましたし」

逃げ癖。父との対立で逃げ、仕事がうまく行かず、詐欺に逃げる。そんな逃げ癖のせいでフナイムさんは特殊詐欺へと導かれたのだろうか。

「逃げ癖は永遠のテーマです。そのため、立ち向かって行きたい。怖がらずに、前を向きたい」

出典:文春オンライン

フナイム(funaim)の昔は芸人?

19歳になってまた祖父母の家に戻ったフナイム(funaim)さんは、役者になる夢を諦めておらず、水商売をしながら20歳の時に芸能事務所に入り、エキストラの仕事もするようになりました。

そして、27歳からは芸人としてもライブ活動をするようになりましたが、芸能活動だけでは生活できなかったフナイム(funaim)さんは、配送やデータ入力などのアルバイトも掛け持ちしていました。

このように役者という夢に向かって活動する間も、派手な暮らしに憧れていたフナイム(funaim)さんは23歳の頃に知り合いから高額の仕事を紹介されて、知らずにグレーや詐欺の仕事にも手を出すようになったそうです。

フナイムさんが詐欺を始めたのは、23歳のころ。当時サパークラブで働いていた。その店の男性客から「稼げる仕事がある」と声をかけられた。

「当時、役者を目指していたんです。店で華やかな人たちを見ていたこともあり、派手な暮らしにも憧れていました。そのため、“やってみましょう”と思ったんです。詐欺とは知らずにマンションへ行きました。マニュアルもありましたし、2ヶ月間の研修もありました。研修の間は月20万円の報酬でした。

次第に詐欺だと分かったのですが、最初の段階で身分証のコピーを取られていますので、下手に逃げられない。反社の名前も出されていました。紹介してくれた人の顔を潰せないというのもあります。だから、やめようとは思わないし、やめられなかったんです」

研修期間が終わって別のメンバーと一緒に仕事をするようになった。しかし、他のメンバーは月100万円以上の報酬があったが、自分だけは報酬30万円。上だけがよい生活をしていた。その後、26歳ごろに詐欺をいったんやめたという。

「やめたのは、馬鹿らしかったから。毎日、『捕まるんじゃないか』と考えていました。警察の手がすぐそこまで迫ってきたと感じていました。だからこそ、気が休まらない。そのため、詐欺を抜けて、もう一度、夢だった役者を目指そうと思ったんです」

出典:文春オンライン

そんな中、知り合った女性と同棲を始め、2年半後に

結婚したい。結婚しないなら別れる

と言われ、29歳の時に結婚し、翌年には子供にも恵まれました。

しかし、家族が出来たことで今の経済力では安定しないと考えたフナイム(funaim)さんは、芸能界を完全引退し、儲かる仕事をしようと考えました。

そして思い付きで詐欺グループを立ち上げ、後に逮捕されることになります。

役者を目指し、芸人もしていた。その後、知り合った女性と同棲した。その2年半後、その女性から「結婚したい。結婚しないなら別れる」と言われた。結婚しようと決意したが、いまのままでは経済的には安定しないと思っていた。

お金を稼がないといけない。ただ、僕は学歴もない。どうしよう」

そんなときに詐欺グループを設立した。

遊び感覚でした。毎日同じことの繰り返しです。実際に詐欺で奪ったのは何件か覚えていません。例えば、テレアポの仕事をしていたとして、何件電話をかけたか覚えていますか? きっと忘れると思いますが、それと同じです」

出典:文春オンライン

――スムーズに辞められましたか。

引き留められはしましたが、バックをちらつかされることはありませんでした。25、26歳のときです。

――犯罪から足を洗った。

はい。闇金をやめてからは、もう一度芸能の仕事を目指しました。当時同棲していた恋人がいて、結婚することになりました。ただ、芸能の仕事では食べていくことはできないし、昼間もしっかり働こうと考えていたとき、知人から昼の仕事の紹介を受けました。

――仕事内容は。

未公開株の販売業です。

――未公開株の販売ができるのは、その未公開株の発行会社や登録を受けた証券会社に限られています。

犯罪にあたらないか確認しましたが、事務所を借りて所在も明らかにするし、投資事業組合を作ると言われました。なら大丈夫かなと。2カ月で月収が120万円を超えましたが、だんだんグレーだと感じ始めました。

――具体的には。

未公開株の販売だけだと思っていましたが、「株を買いたい人がいる」とうたっていた相手が実は身内だったんです。マッチポンプのような手法で、本当は買いたい人なんて存在しない。めくれない(バレない)と詐欺じゃない。それでも32歳くらいまで続けていました。

――やめるきっかけは?

本当にやりたいことじゃないなと思ったんです。若いころ、よく海外に行っていたこともあり、役者がダメなら輸出入の仕事がしたかった。それで、実際に韓国で雑貨を買い付けてネットで販売することにしたんです。

ただ、売り上げは月に40万ほど。仕入れを引くと、お金はほとんど残らない。生活が圧迫され、どうしようと思ったときに未公開株の販売を誘ってきた知人から再び連絡がきました。

――今度は何の誘いでしたか。

老人ホームの入居権の販売マニュアルがあるから、やってみないかと連絡がありました。やり方は未公開株のときと同じで、本当は入りたい人なんていない。でも、あたかもいるかのようにみせて、権利を販売する。お金に困っていたので、手を出してしまいました。

(中略)

高齢者から保証金をだまし取ったとして、2015年に逮捕されました。ガサ入れの前日、販売マニュアルをくれた人から「かけ子(電話をかける)グループと連絡が取れなくなっていて、たぶん捕まりました」「そっちもやばいから片づけたほうがいい」と電話がありました。それで、急いで他の3人を招集しました。でも、受け子のリーダーが「お金を持っていこうとしているんじゃないか」と勘ぐり始め、その日は帰ることになりました。

出典:AERA

因みに刑務所にいた時、嫁から離婚を突き付けられ、現在も会えないままだそうです。

そんな受刑中を支えてきた妻から、19年、離婚届が送られてきた。前を向いて生きようとしたときに一つの試練が訪れた。

「家族のために頑張ろうと思っていたところ、結婚記念日の直前、敬語で書かれた手紙が届いたんです。“離婚してください”とありました。“待っている”って言ったじゃないか、とその時は思いました。もう絶望でした。しかし、刑務所内で本を読んでいて、“執着は苦しみしか生まない”ということを知りました。だから、離婚は苦しかったけれど、なんとかどん底をクリアしました。

出典:文春オンライン

フナイム(funaim)の事件や賠償は?

フナイム(funaim)さんは結婚後に上記の通り、詐欺グループを設立し逮捕されるまで続けていました。

しかし、2015年に犯した被害額6000万円の特殊詐欺で逮捕され、2016年に懲役5年4ヶ月の実刑判決を受けました。

2021年11月に刑期が満了しました。

因みにフナイム(funaim)さんはこれまで犯した詐欺の賠償についてこのように話しています。

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